中居釣具店

伝説の釣具、全世界解禁。The legendary KEBARI is finally released to the world.

祖⽗が形づくり、⺟が守り続けてきた歴史を絶やしたくない
──その⼀⼼で、家業を継ぐ決意をした⼥性がいる。
彼⼥が⼀⽇中、⼯房に籠もって作り続けているもの、それは⽑針。
よく知られているフライフィッシング⽤のものではない。
海釣り⽤の⽑針である。
「海釣りに⽑針って使えるの?」と思った⼈も多いだろう。

だが、驚くなかれ。

この⽑針は海で⿂を釣ることで⽣計を⽴てる漁師たちが、古くから愛⽤してきたものなのだ。
いわばプロ中のプロのお墨付きなのである。
アナログの時代は知る⼈ぞ知る存在だった釣具が今、
3代⽬の決意とともにネットの波に乗る。
中居釣具店謹製⽑針、満を持して、全世界解禁。

Prologue

元漁師が興した⼩さな釣具店

秋⽥駅から⾞で約1時間。県内屈指の観光地・男⿅半島の付け根に位置する港のそばで
1954年、中居由太郎はそれまで⽣業としていた漁師を引退し、⼩さな釣具店を興した。
店構えは地味で質素。
⼀⾒がふらりと⼊れるような雰囲気には程遠かったが、
由太郎は作業場と家族を養えるだけの収⼊さえあればいいと、
淡々と仕事をこなしていった。

⼝伝てに広がる、
商品の確かな品質

開店初期の主要な顧客だった漁師時代の仲間だけでなく、
⼀般の釣り⼈のあいだでも中居釣具店の名が囁かれ出したのは、
海釣り⽤の⽑針を売り始めた頃。
元漁師の知恵と経験が詰まったハンドメイドのオリジナル商品は、
⼿にした者を確実に魅了し、いつしか店の主⼒商品となっていた。
「中居のアレは、本当によく釣れる」
以後、中居釣具店には隣県や北海道の漁協からも注⽂が⼊るようになるのだが、ネットなき時代の個⼈事業ではその辺りが限界。
海釣り⽤の⽑針の認知度は限定的だった。

Turning Point

⽑針づくりは
⽗から娘へ

1988年前後から病床に伏しがちになった由太郎に代わり、
娘の恵⼦が⽑針をつくるようになる。
彼⼥が正式に中居釣具店2代⽬店主となったのは、
店舗を現在の場所に移してから12年後の2008年。
由太郎が愛する家族に⾒守られながら、この世を去ったことによる交代だった。
恵⼦は漁協に納める⽑針を懸命につくり続けた。
しかし、3児の⺟でもあった彼⼥にとって家事との両⽴は⼤儀で、
⼀般販売⽤の製造まではとても⼿が回らなかった。
そして遂に2020年、売り上げ減にコロナ禍も重なり、
気⼒の尽きた恵⼦は廃業の意思を固める。

and so inherited.

3代⽬ 孫娘の決⼼と挑戦

そんな恵⼦の決断に異を唱えたのが、3⼈兄弟の末っ⼦で由太郎の孫にあたる希望(のぞみ)。
⾃⾝は釣りの世界をほとんど知らなかったが、祖⽗や⺟がつくり続けてきた⽑針が、
ユーザーから⾼い評価を受けていることは知っていた。
「おじいちゃんの⽑針を、もっともっと広めたい!」。
希望は同じ苦労を⼦どもに味わわせたくないと事業承継を渋る⺟を説き伏せると、それまで就いていた職を辞めて
⼀から⽑針づくりを学び、正式に3代⽬店主となった。
こうして歴史は紡がれ、⻑く⽌まっていた⼀般向けの販売も約10年ぶりに再開する運びとなったのである。
中居釣具店、第3章のビジョンは海釣り⽤の⽑針を知る⼈ぞ知るものから、誰もが知る道具にしていくこと。

若き店主の挑戦が、いま幕を開ける。

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